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9月, 2022の投稿を表示しています

【壮絶な人生?】断捨離生活のスタート

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※このブログはアフィリエイト広告を利用しています。   皆さんこんにちはyokoです! 私たち夫婦は2022年9月に日本からアメリカのサウスカロライナへ移住しました。 築約50年の家が私達の新居です。彼は日本に来る前にここで1人で住んでいました。 期待に胸を膨らませ移住したその先は ひどい匂いのする人形がやたらいっぱいある家でした。 【QQ English】安心の日本人サポートとレッスン保証制度 ■目次■  1銀行口座が作れなかった 2.人形の館 3.瞳が真っ赤なフランス人形 4.チャッキーとカリフォルニアレーズン 1.銀行口座が作れなかった 入国した次の日私達は私の銀行口座の開設に彼のメインバンクのTruist Bankまで行きました。  2人ともまだ免許がなかった為彼のおじいちゃん(Pap) の車に乗せてもらい銀行へ。 日本から私の当座の生活費として現金90万円を持ってきました。なぜそんな中途半端な額だというと 1万米ドル以上だと税関に申告が必要な上100万円以上持ち歩くのはビビリなので怖かったからです。 そして口座を開設しようとしましたがこの日は出来ませんでした。まだグリーンカードがな かったからです。 通常アメリカで銀行口座を開設するには 本人確認書(パスポート、運転免許証、州発行の身分証StateID等の写真付き)、ソーシャルセキュリティーナンバー(SSN) アメリカでの住所が証明できる物(公共料金の請求書、手紙等)、初期入金の為のお金、学生の場合は学生証などの書類が必要です(※銀行による) その時はアメリカに着いたばかりで、まだ運転免許証もStateID等の写真付きもなく、グリーンカードもまだ届いていませんでした。 つまりあまり下調べもせず身分証明書が全くない状態で行ったわけです。 グリーンカードを取得するのにあと2ヶ月ぐらいかかります。 移民ビザIR1(米国市...

【初めての海外移住】スイスからシカゴへ、そしてサウスカロライナへ

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※このブログはアフィリエイト広告を利用しています。 皆さんこんにちはYokoです! いよいよチューリッヒから大西洋を超えてアメリカに渡ります。前回同様荷物を減らすため服を6枚重ね雪だるまの様になり空港へ。 そんな私とは対照的に空港ですれ違った白人女性の1人は上半身はスポーツブラ1枚だけでした・・  ▪️目次▪️ 1.スイスを出国するときは順調 2. シカゴではイミグレ通過に4時間弱 3.セキュリティーでは時間がなくてドタバタ 4.時間ギリギリで大急ぎで走らされる 5.最後のオチはロストバゲージ オンラインのブランド品買取サービス【ブランディアBell】 1.スイスを出国するときは順調 チューリッヒではイミグレーションでスタンプを無言で押されただけで無事通過しましたが セキュリティー(保安検査場)では買ったばかりの歯磨き粉と洗顔料を没収されました。 飛行機には100mlを超える液体物は持ち込めません。 歯磨き粉も洗顔料も固形では?と思いますが、ペーストとして液体物の種類になります。 100ml以下の容器に入れた液体物をジッパー付きの容量1L以下の透明プラスティック製袋に余裕を持って入れなくてはいけません。 シカゴは犯罪が多いからセキュリティーチェックが厳しい、入国時に書類も見せないといけないし時間がかかると言われ ましたが その通りでした。 2. シカゴではイミグレ通過に4時間弱 シカゴ・オヘア国際空港に到着した後イミグレ(イミグレーション=入国審査、出入国管理)に行くと長蛇の列が。 私達はここを通過するのに約4時間かかりました。 乗り継ぎ時間は2時間あればよいと言われますが、これでは完全に間に合いません。 並んでる間は移動しすぎの疲れで完全に時間の感覚がなくなっています。 いよいよアメリカに移民として入国。 係の女性に開封厳禁と書かれた大使館からもらったオレンジ色の封筒とパスポートを渡します。 何を聞かれるかと思ってドキドキしていましたが 女性は封筒を開けて書類1枚1枚チェックしただけで私には特に何も言いま...

【スイスってどんな国?】チューリヒ16時間滞在記

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※このブログはアフィリエイト広告を利用しています。 皆さんこんにちはyokoです!   アメリカに入国前スイスで乗継の為1泊(正確には約16時間滞在)しました。 9月8日前泊で成田空港内のカプセルホテルにチェックイン。 翌朝11時10分のスイスのチューリヒ空港行きの飛行機に乗りました。 今回は成田空港からアメリカ入国前に約16時間滞在したスイスのZurich(チューリヒ)までの様子をお伝えします。 ■目次■(押すと見出しにジャンプします) 1.スイスってどんな国? 2.スイスに向かう上空の様子 3.イミグレーションでのやりとり 4.街は安全で素敵だがいたるところにマ〇〇︎〇〇︎の店 1.スイスってどんな国? アルプス山脈に囲まれヨーロッパのほぼ中心に位置している内陸国のスイス。 他民族・多言語国家で1815年に永世中立(永久に他国を攻撃せず、他国間の戦争に加担しないこと)が認められました。 EUにも加入しておらず、完全に独立した立場にあります。 首都はベルンですが今回私たちが訪れたチューリッヒは金融の世界的な中心地となっています。 よくドラマや漫画の中でスイス銀行が何とかとよく聞きますが、実際にはスイス銀行という名前の銀行はありません。 西部に位置するジュネーブはスイス第2の都市で、国連欧州本部や世界保健機構(WHO)本部などがあります。 その他に国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)や世界貿易機構(WTO )もうスイスに本部を置いており 国際オリンピック委員会(IOC)、国際サッカー連盟(FIFA)、国際バレーボール連盟(FIVB)、国際アースホッケー連盟(IIHF)など多くのスポーツ関連団体の本拠地にもなっています。 スイスはまた国際赤十字の発祥の地としても有名です。面積は約4.1万平方Kmで九州とほぼ同じ位の小さな国ですが、重要なものがギュっと凝縮された感じです。 他に...

投資とは私の場合② 次は投資信託をやってみた

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※当ブログはアフィリエイト広告を利用しています 皆さんこんにちはyokoです! 株の次に始めたのは投資信託でした。  20年位前だったと思いますが、当時の銘柄は売ってしまったので詳細はわかってません。 始めた経緯と投資信託について私が思うことについてまとめていきます。 ■目次■ 1.友人A 2.とりあえずやってみた 3.光熱費は大体賄えていた 4.その後急に下がった 5.解約せずそのままホールド 6.まとめ、気長にそして楽しみながらやる   1.友人A 始めたきっかけは当時時々遊んでいた友人Aの言葉です。「自分の毎月の光熱費は投資信託の配当金で大体賄っている」 初めてその言葉を聞いて私は投資信託?何それ??でした その人はもともと頭のいい人で当時住んでいた学区では1番の高校を卒業しています。 家はあまり裕福でなかったらしく彼曰く「頭とお金両方が足りなかった」と高卒で働き出しました。 今で言う金融リテラシー(※お金にかかわる、金融や経済に関する知識や判断力のこと)が高い人で ただのケチというのではなくお金の使い方をよく知っていました。 ニュージーランドに住んで働きそこで英語を習得したり、趣味のダンスや旅行、知り合いのバンドの広報活動 温泉巡りとよく遊んで人生を楽しんでいる人でした。 光熱費は同じ払うにしても現金よりカード払いにした方がポイントが貯まるのでお得 など色々と教えて貰いました。もちろん私もそうしました。 2.とりあえずやってみた 当時はネットの証券口座、NISAもなく(どちらも後に始めましたが) とりあえずは郵政民営化前の郵便局に行きまし...

投資とは私の場合①

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※当ブログはアフィリエイト広告を利用しています みなさんこんにちはyokoです! 世の中には 株で年収1億円! 仮想通貨で2000万吹っ飛んだ など色々な方がいますが 「大儲けもしないが大損もしない、 だが淡々と勝ち続けている」 私の投資ストーリーを話していきたいと思います。私が得た教訓は ・何年も寝かす ・気にしすぎない ・でもチャートを毎日ではないが時々は見る。 です。どういうことか説明していきます! 私の株ビューは20代の時でした。当時銀行に預けても全然増えないのが分かってた私は 効率的に増やすにはどうすれば良いか父親に相談しました。 すると「株はどうだ?」と言われました。 当時は今のように情報がなかったのでとりあえず父の紹介で大手D証券に口座を開きました。 買った株は1種類のみ。これも父のオススメでした。 わけもわからず言われた通りに買いましたが今となっては父に感謝しています。 なぜならその何年も経った後¥2,000,000以上の譲渡益(売却によって得られる益)出したからです。配当金と合わせるともっとです。  そこから税金、手数料も結構引かれましたがそれでも株のド素人だった私はニヤニヤが止まりませんでした。 今で こそ ネット証券が主流で投資ブームですがその時はあまりやってる人も周りにおらず 「株なんかバクチやん!」と言われたこともありました。 買った当初は気になって毎日株価をチェックしていました。ですがわずかな上げ下げに一喜一憂するのも疲れ 私がずっとチャートを眺めたからって株価が上がるわけではない と思いそのうち忘れたりしてほとんど見なくなりました。 その時はトレードはせずに(というよりよく分かっていなかった) ただただ寝かしておいただけで年2回の配当金が楽しみでした。 正社員ではなくバイトだったので配当金がボーナス代わり、一番多い時ではっきり覚えてませんが 1度の配当金が12万位あったと思います。 そんな感じでしたのでチャートも最初のほうこそは見ていましたが途中何年か見ていない時期もあり 完全に放置状態でした。 ある時ふと見ると1年半...